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神田を散歩して -寺田寅彦-
あるきわめて蒸し暑い日の夕方であった。神田を散歩した後に須田町で電車を待ち合わせながら、見るともなくあの広瀬中佐の銅像を見上げていた時に、不意に、どこからともなく私の頭の中へ「宣伝」という文字が浮き上がって来た。
それはどういうわけであったかよくわからない。その日は特別な「何々デー」というのでもなかったし、途中で宣伝の行列や自動車に出会った覚えもない。おそらく途中の本屋の店先かあるいは電柱のビラ紙かで、ちらと無意識に瞥見したかあるいは思い浮かべたこの文字が、識域のつい下の所に隠れていて、それが、この時急に飛び出して来たのかもしれないと思う。もっともそれにしたところで、広瀬中佐の銅像を見ていたという事が、どういう機縁になってこれが呼び出される手続きになったのか、これに関する筋の立った説明はなかなか簡単でないように思われる。
それはとにかく、私はその待ちおおせて乗った電車の上で、この「宣伝」という文字について取り止めないいろいろの事を考えてみた。しかしその時はそれきりで、何を考えたという事さえ忘れてしまっていたが、その後二三日たったある日の夕方、駿河台下まで散歩していた時に、とある屋根の上に明滅している仁丹の広告を見るとまた突然この同じ文字が頭の中に照らし出された。あの広告のイルミネーションが、せわしなくまたたきをするたびに色がぱっぱっと変わる、そのように私の頭の中でもいろいろの考えがまたたくように明滅した。
そこから帰る電車の中で、またこのあいだと同じようなまとまりのつかない考えを繰り返した。繰り返している間には、いくらかこのあいだとはちがった向きへも考えが分かれて進んで行った。それで結局は、何も別段得る物はなかったのであるが、でもせっかく考えた事だからと思って、ノートの端に書き止めておいた。その中のおもな事を改めてここに清書しておきたいと思う。
宣伝という文字自身には元来別にそう押しつけがましい意味はなくてもよいように思う。道や教えを宣べ伝えるという事は、取りようではたいへん穏やかな仕事のように思われる。しかし同じ事でもプロパガンダというとなんだか少し穏やかでないような気持ちがする。これは単にこの言葉の特殊の音響から来る感じなのかもしれない。
一般的に宣伝というものの手段方法が必ずしも穏やかで物静かであってはいけないという事は考えられない。昔の宗教家や聖賢の宣伝にはかなり平和的なのもあったように思われる。しかし今日の「宣伝」という言葉には、まさにそれとは反対な余味があり残味がある。最も平和的なのでも楽隊入りの行列や、旗を立てた自動車や往来人の鼻の先にさしつけられる印刷物や、そういう種類のものがいつでも連想される。もっと穏やかでないものならいくらでもあることは言うまでもない。今日のような世の中ではこういう方法を取るよりほかにしかたがないというところから、自然に流行するようになったものと思われる。ああいう方法によれば少なくも一時的の効果はある程度まで得られるに相違ない。多くの場合にまた宣伝の目的がほんの一時的のものであるとすれば、それで結構なわけであるかもしれない。甲の宣伝の効果が花火のように輝いて消えるころに乙の宣伝が砲声のようにとどろいて来る。そうして一つのものの余響はやがて次の声の中に没し、そういう事が順次に引き続いていつまでも繰り返される。それがちょうどたとえば仕掛け花火か広告塔のイルミネーションでも見るような気がしてならないのである。つまり身にしみるような宣伝はわりに少ない。
善い事だから宣伝しなければならないという強い信念の下にすべての宣伝は行なわるべきものであろう。便宜その他のあまり真剣でない雑多の動機から行なわるるものもないとは限らないが、そういうものは論外である。ほんとうの宣伝ならば、宣伝さるる事がらの絶対価値に対する強い信念があっての上での事に相違ない。そういう信念があった上でそれを宣伝する方法手段がかなり問題になるわけである。そこでもしこの世の中に「善い事」が一つそしてただ一つしかなかった場合には事がらは誠に簡単であるがたぶんそうでないとなるとめんどうになって来る。
思うに宣伝という事は、言わば「世の中をただ一色に塗りつぶそうとする努力」である。もし世に赤ならば赤、青ならば青が絶対唯一の正しい色であれば、それはあるいはいかなる手段によってもこの世の中をその一色に塗らなければならない事になるかもしれない。しかし私には、そうは思われない。スペクトルの色がそれぞれに美しいほんとうの色であるように、やはりそれぞれ正しい道なり原理なりが併立しうるように思われる。たとえ道や原理は唯一だとしても、同じ道や原理にもいろいろの相があり面があり、スペクトルがある。もしそうでなかったら、元来宣伝などを待たずして世は自然に一色になっているはずかもしれない。あるいは宣伝というものの存在するという事実自身がまさにこの事を証明しているのかもしれないとさえ思う。
原理の白色光に照らされた時に万象は各自に特有な色彩を現わして柳は緑に花は紅に見える。しかし緑色の宣伝する人は太陽の前に緑色ガラスのスクリーンをかけて、世の中を緑色にしてしまおうと考えているかのように見える場合がある。もしも花が緑にならなければならない道理のある場合ならば、花弁の中に自然に葉緑ができてしかるべきではあるまいか。そうでないところを見ると、紅の花はやはり紅でなければならない理由があるように思う。
古来宣伝法の猛烈なものの中でも猛烈であったと思われるのはマホメットのコーランにおける、オラーフ王のキリスト教におけるごときがそれである。宣伝を受けないものはそのかわりに剣戟を受けねばならなかった。緑色でないあらゆる花はたたき折られふみにじられた。それでも幸いに今日紅紫の花の種は絶えていない。
ナポレオンは「フランス」を宣伝し、カイザーは「ドイツ」を宣伝した。これらはある意味ではたしかにききめはあった。しかしこの場合にも罪のない紅の花は数限りもなく折られ踏みつぶされて、しかしておしまいには宣伝者自身それらの落花の中に埋められた。その墓場からはやはりいろいろの草花が咲き出ている。
宣伝される事がらがかりに「悪い事」や「無理な事」や「危険な事」であったとしたら、その場合には結果はたいして恐るべきものではあるまいと思う。なぜと言えば、そういう宣伝は無制限に波及する気づかいがないからである。これに反して「善い事」の宣伝のほうはかえってはるかに危険であるかもしれない。なぜとならば、それはひょっとしたらどこまでも広がるかもしれないという恐れがあるからである。そうしてこの一つの「善い事」のために他にあらゆる「善い事」がたたき折られ踏みつぶされる心配があるからである。いくら折られつぶされても決して絶滅する恐れはないにしてもそのために要求される犠牲の価は時には安くないものになる。
そのような侵略的な宣伝が現在どこにあるかと聞かれるとすぐ適例をあげる事は困難かもしれない。しかし現在の宣伝という言葉には、いつでも、どことなしにそういう「におい」があり「影」があると言えば、それはおそらく多くの人が首肯するであろう。ある一部の人々が宣伝というものに対していだいている漠然とした反感のようなものも、一つはここに帰因するのであろう。
店の飾りや、広告の楽隊や、旗印を押し立てた自動車やは、あれは最も罪のない宣伝方法に属する。それが陽気で眩目的であるだけに効果は大概皮相的で、人の心のほんの上面をなでるだけである。そしてなでられたくない人は、自由にそれを避ける事ができる。人の門内や玄関まで押しかけて来ない。その点でも市会議員の選挙運動などよりはよほど穏やかでいいものである。
政党の宣伝などに行なわるる手段方法については多くを知らないが、いずれにしてもこれは便宜上の動機から来る宣伝で、始めからまじめなものでないから、どちらがどうなっても問題にならない。どんなに弊害があっても、人の心の奥にまで食い込む心配は少ない。
これに反してもっとまじめで真剣なだけにいちばん罪の深い人間的な宣伝の場合と思われるのは、避くべからざる覊絆によって結ばれた集団の内部で、暗黙のうちに行なわれる、朋党の争いである。たとえば昔あったような姑と嫁の争いである。姑は「姑」を宣伝し、嫁は「嫁」を宣伝するために、一家に風波が立つ。双方互角である場合はまだ幸いである。いずれか一方の勢力がまされば禍である。同じような事は、違った人生観や社会観を持った人々の群れの間に行なわれる。いずれも一つの善い事を宣伝せんために他の善い事の存在を否定するから起こる。困った事にはそれがどちらも善い事なのである。そしてそれを融和すべき相対原理がまだ認められない事である。
「桃や李は、物を言わないのに木陰にはひとりでに道ができる。」昔の人はこんな事を言って侵略的宣伝を否定した。しかし今のように桃や李の数がふえてしまっては、この言葉はほんとうに時代遅れになったのかもしれない。それにしてもほんとうによい美しいすぐれた花なら、少なくもそういう花を捜して歩いている人の目にいつかは触れないものだろうか。危険を冒して懸崖にエーデルワイスを捜す人もある。昼提灯をさげて人を捜した男もあったのである。
しかしこれはあまりに消極的な考えかもしれない。自分はここでそういう古い消極的な独善主義を宣伝しようというのではない。また自然の野山に黙って咲く草木の花のように、ありとあらゆる美しい事、善い事が併立して行かれないからと言って、そのためにこの世をはかなんで遁世の志をいだくというわけでもない。
宣伝が理想的に行なわれて天下を風靡する心配がないからこそ世に宣伝という事がいつまでも行なわれている。宣伝の必要のあるというのは、つまりその事がらがどこか偏頗であり、どこか無理がある事を証明するのだとすれば、結局宣伝というものは別に恐ろしいものでもなんでもなくなるわけである。むしろ適当な程度の宣伝が各方面からせり上げてそのすべての合力によって世の中が都合よく正当な軌道を運転して行くのかもしれない。あるいは実際多くの宣伝者自身がこれぐらいの心持ちでめいめいの宣伝をやっているのかもしれない。そうだとすれば始めから問題はなくなる。これまで自分の考えたようないろいろの心配などは畢竟誇大妄想病者の空中に描く幻影のようなものかもしれない。しかしはたしてそうであれば、現在行なわれているいろいろの宣伝がもう少しちがった色彩を帯びてもいいわけではあるまいか。
電車の中で考えたのは、あらましこんな事であったように思う。
とにかく結論としては何も得られなかった。
その後二三日してまた駿河台下を歩いた。その時には正午過ぎの「太陽」の強い光がくまなく降りそそいでいた。例の屋根の上に例の仁丹の広告がすすけよごれて見すぼらしく立っていた。白日のもとに見るとあれはいかにも手持ちぶさたな間の抜けたものである。
あらゆる宣伝を手持ちぶさたにする「太陽」のようなものがもし何かあるとしたら、それはどういうものであろう。こんな事を考えながらぶらぶら神保町の通りを歩いたのであった。(大正十一年八月、解放)
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